10月 4日(土) ささいはるみ&神野和博 HOT KISS コンサート V
 Gracias a la cancion (歌よありがとう)

 7月19日(土)
 6月28日(土)
 5月24日(土)
国分寺うたう会 bS0〜bS2

    

ささいはるみ&神野和博 HOT KISS コンサート V(2004.1.4作成)

 コンセプト 

 2003年10月4日 西国分寺の「いずみホール」で、二人の3回目のジョイントコンサートが行われた。
       題して「Gracias a la Cancion(歌よありがとう)

 前回の2回目から2年8ヶ月になる。
その間、二人が多摩地方を中心に多くの方から声をかけていただき、出前うたごえ、ミニコンサートを開かせていただいた。いつも暖かい目で見守っていただき、励ましの声をかけていただき、素晴らしい仲間の中で音楽活動を続けてこられたことに感謝の念でいっぱいである。歌を作り、歌い続けて来て本当に良かったと思っている。
 今回のコンサートは、そんな歌への感謝祭として開催することにした。それは、ひいては音楽を通して深いつながりを、歌の輪を作ってくださった皆さんに対する感謝祭でもあった。

 曲作り開始 

 創作曲の準備を始めたのは、2002年9月頃。きっかけとなったのは、はるみから手渡された永井和子さんの詩集「不器用な木」。曲を作りたくても詩が見つからずにいたとき、こんな詩があるよ、と見せてもらった。その詩集の中で目に留まったのが「会いたくなったら」という詩。「……私はいつでも ここにいるから 私はここで待っているから、会いたくなったら いつでもおいでよ」という一節が、僕の心の隅から離れなくなった。なんと優しい、包容力に満ちた言葉だろう。この詩なら、みんなに歌ってもらえる、みんなの心に届く歌になるのではないだろうかと考え、是非曲をつけてみたいと思った。
(後で知ったことだが、この詩には岡田京子さんも曲をつけていた)

 僕は永井和子さんと面識がないので、はるみを通して永井さんに詩を使わせて欲しいとお願いしたところ、快く了解していただいた。それだけでなく、詩集「北の大地から」と最近作られた詩を詩集として掲載する前に送っていただいた。(この時の詩は、コンサート時点では「歌ってよわたしの詩たち」という詩集になって発売された)
 このとき以来、永井さんからいただいた詩に曲をつける作業が始まった。
 そして、2003年1月までに8曲が完成した。

 
本番までの四苦八苦 

 こんな作業を続けているときに、コンサートの日程と会場を具体的に決めなくては、ということで、まず会場は以前から念願であった「いずみホール」を第一候補に考え、1月時点で申込をすれば9月に開催できることから、抽選に臨んだものの見事にはずれる。次は2月申込の10月開催で再度申込をしようということになり、幸運にも10月4日が取れたものである。

 さて、日程と会場が決まったので、次は選曲である。永井さんの8曲は入れるとして、後の曲をどうするか、曲順をどうするかを決めなければならない。また、構成をどうするか、編曲は、司会者は、バンドはアミーゴにお願いするとして練習日程がどのくらい取れるのか、、いずみホールは370名収容だが、聞きに来てもらえる人をどのようにして集めるか、チラシは、プログラムは、等々やらなければならないことが山積み。でも、準備期間として8ヶ月近くあるので何とかなるだろう、とその時は安易に考えていた。今までのコンサートの準備期間を思えば充分余裕があると思ったからである。

 このようにして10月4日の本番に向けての準備が始まった。
 まずは、編曲を杉本健さんに頼むことにし、2月末頃打ち合わせ。杉本さんは今まではるみのコンサートで編曲・演奏を何度かやってくれていた人。プロとして活躍している人であり、編曲料は少し高いものの、永井さんの曲について編曲をお願いすることにする。
 
 次は選曲。はるみの歌うシャンソンを数曲、又僕のギターとはるみの歌だけでやるフォルクローレ数曲、いつも詩を提供してくれている石井彰さんの曲、はるみの作詞、僕の作曲になる曲、今までに発表した曲でもう一度やってみたい曲等候補曲を40曲くらいピックアップ。そして、今回のコンサートの企画・構成を手伝ってくれる数人のメンバーと選曲を話し合う。そうして何回かの打合せの末ようやく曲目が決定。同時に台本の検討も進められる。曲順については台本との関係で何度も何度も書き直し。

 更に、バンドの練習であるが、杉本さんの編曲が出来上がり始めるのは6月末頃になるので、7月から練習を開始することとする。その時点で本番までに日程を確保したのが、11回。ほぼ月4回。毎週1回は練習することになる。とはいえ我々のバンドメンバーはみんな勤めており、しかも日曜日に必ず休める環境になかったり、他の活動もやっている人もいるため全員そろって練習する日は限られる。
 なお、バンドアミーゴは僕も参加しているアコーディオンを中心としたバンドで、このコンサートに参加したのは10名。他に楽器はピアノ、バイオリン、ベース、ドラム、ギター、トランペット、パーカッション等を一人二役も三役もこなす多才な仲間の集まりである。。
 又、歌で参加してくれるアリオンコーラス、Re・ハート、国分寺うたう会の人たちの練習日程の確保も考えなければならない。それでもとりあえず、本番までの練習スケジュールと場所の確保をして練習に取り掛かることにする。


 その一方で、手元にある過去に来てくれた人の名簿を元に、来てくれそうな人への声掛けを我々二人が中心になって、葉書を出したり、メールを出したり、電話したり。更に、出前うたごえ等に出演の時には必ず宣伝。
又、チラシは守田さんに、チケット、プログラムの制作は自分達でと忙しい日々を過ごすことになる。
又、永井和子さんに本番に出演してもらうため、東京に出てくる折には何度もお会いして打合せ。
このようにして、ようやく本番当日を迎えることができた。

 本番当日の戦場 

 さて、本番当日である。
 9時の開館と同時に、スタッフの皆さんが集合。2時半の開場に向けて準備開始。
 バンドの楽器、機材の運び込み、ピアノの調律、音響、照明の確認、楽器・機材のセッティング、マイクテスト、スライドを映すためのスクリーンの組み立ておよびスライドの試写等々ステージの準備が慌しく行われる。一方で、出演者の昼食の買出し、受付の準備、玄関の看板の設営、永井さんの販売詩集の準備等も事前にお願いしていたスタッフの方が打合せどおり着々と準備を進めてくれる。
 そして、これら準備と並行して10時半頃から出演者はリハーサルを。永井和子さんは当日札幌を立って駆けつけたため到着は12時頃。朗読とバックの音楽との合わせは初めてであるが、20分くらいの短時間で仕上げる。リハーサルが終了したのは開場直前の14時30分。昼食をいつとったのか記憶にない。開場までの5時間半は戦争状態であった。それでもみんなが気持ちを一つにして準備に邁進して、ようやくお客さんの入場を迎えることができた。

 開場時間が来てからはもはやあわてても仕方ないのであるが、どのくらいのお客さんが来てくれるか気になった。気になりつつも当人は本番のステージのことで頭がいっぱいで確認する余裕もなかった。

 本番ステージ 第一部の模様 

 午後3時。いよいよ本番のステージ開幕である。
 オープニングのバンド演奏
「歌をうたえば」が流れる中で二人が登場。僕はギターの位置へ、はるみはマイクの前へ。第一部の始まりである。
 私達のコンサートでは何度もお願いしている山田雄三さんの素晴らしい司会でステージが進行していく。
 
 第一部のメインは今回のコンサートのために準備した永井和子さん作詩、神野和博作曲による北海道と沖縄の曲8曲と永井さんの詩の朗読である。
 永井さんは自分の詩を活字を通して見てもらうより、声に出して読み、聞いてもらうことが好きと言う。そういう永井さんの朗読は、聞いていて心の奥深くに強く訴えかける迫力を感じた。朗読のバックでギターを弾いていたのだが、言葉の一つ一つがギターを引く指先を詩の世界に誘導していくようであった。
 その朗読詩は「歌ってよわたしの詩たち」から
“あなたへ祈るもの”である。

 永井さんの詩になる曲は次の8曲である。(カッコ内は歌い手)
     1 
会いたくなったら(ささいはるみ)
     2 
海の子守唄(金子正幸)
     3 
大地の歌(アリオンコーラス&男性コーラスRe・ハート)
     4 
壊された風景(ささいはるみ)
     5 
ぶっそうげの花(大島美恵子)
     6 
竹富島の星の道(大島美恵子)
     7 
さとうきびの花(ささいはるみ)
     8 
本部恋歌(ささいはるみ)

 第一部での他の曲は……

○石井彰作詩、神野和博作曲の「娘」は、恥知らずと思いながら自分自身で歌った。歌い慣れていないこと、したがってマイク使いが下手なこと、緊張していたこと等で、後で聞いてみても聞くに 堪えない。

○藍泉作詩、神野和博作曲の
「See You again」は橋本拓磨君のドラム、池田絢さんの歌で演 奏されたが、二人ともバンドメンバーの息子さんと娘さん。親子競演となった。果たして若い二人はどのような感想を持ったのだろうか。

○はるみの歌った他の曲は、シャンソンから
「おおわが人生」、ラテンの名曲「想いの届く日」「限りなき愛の歌」である。

 
本番ステージ 第二部の模様 

 第二部はいきなり二人で歌う
「情熱の花」から始まる。ザ・ピーナツの歌で有名な曲で、原曲はベートーベンの「エリーゼのために」。
 第二部のメインは二人だけで演奏するラテンの曲。
「カンデラリアのサンバ」「ツクマンの月」「ある古い歌の伝説」の3曲である。他の曲はバンドの伴奏であるが、この3曲は僕のギター1本。本番に向けて血のにじむような(?)練習をしてきたものの、満足のいく演奏はできなかった。でも、二人で作り上げた新しいレパートリー。これからも持ち歌として色々な場所で発表して行きたいと思っている。ギターの腕をもう少し上げて。

 第二部のほかの曲は……

○神野和博作曲の歌として、石井彰作詩の
「初雪」、藍泉作詩の「母になる日」、そしてささいはるみ作詩の「尾瀬」である。

「初雪」はアリオンコーラスの皆さんが、ほのぼのとした暖かい演奏を披露してくれた。

○「母になる日」はささいはるみとアリオンコーラスの皆さんで、今まで何度か演奏してきたものであるが、子を持つ母親の気持ちをよく表現してくれていて、いつ聞いても感動を与えてくれる。自分の作った曲であるのだが、もはや自分が曲に込めた想い以上の演奏で結婚を控えた母娘の気持ちを伝えてくれていた。

○「尾瀬」は二人で2002年の夏に行った尾瀬の感動を曲にしたものであるが、アリオンコーラス、 男声合唱団、国分寺うたう会の皆さんの総勢40名近くで演奏した。迫力のある素晴らしい演奏で、編曲(橋本千香子)の素晴らしさと相まって圧巻であった。なお、自分で指揮までしてしまったが、下手な指揮ではかえって歌いづらかったのではないかと思っている。

○司会をお願いした山田雄三さんは歌手として素晴らしい声の持ち主である。本来であれば、何曲でも聞かせてもらいたいところであるが、
「井戸」の1曲のみお願いする。ハリのある高音はいつ聞いても素晴らしい。

○今回の選曲のなかで明るく、軽やかな曲が少ないことから取り上げた曲が
「デイドリーム・ビリーバー」である。唯一ギターを弾かず、二人でデュエットする。この曲は60年代にアニマルズでヒットしたもので、最近日本の若手グループが歌っているのだが、どうも歌詞が気に食わないのではるみが詩を書いた。

○コンサートの大詰めは、やはりはるみの曲を聞いてもらう。シャンソンから
「サ・セ・パリ」「群集」そして最後の曲はヴィオレッタ・パラの名曲「人生よありがとう」。ちなみにコンサートタイトルは「人生よありがとう」の原題を模したものである。

○ フィナーレは、出演者の皆さんを紹介した後、出演者、会場の皆さん全員で、ささいはるみ作詩、神野和博作曲の
「歌をうたえば」の大合唱。こうして感動のうちにコンサートが終了した。閉演午後5時45分、実に2時間45分の舞台が無事終了した。

 コンサートを終えて 

コンサートをやろうと決めてから1年以上。大変な思いも数々経験しながら、多くの方のご協力を得てやり遂げることができた。

バンドメンバーはみんな忙しい仕事を持ちながら、しかも土日にも出勤しなければならない人もいて、練習日程の確保には苦労した。そんな中でも7月からの3ヶ月間で11回の練習を行った。ほぼ毎週1回のペースである。全員が集まって練習できるのはほんのわずかではあったが、全員が気持ちを一つにして本番に向けて練習に参加してくれたおかげで、いい演奏ができたと思っている。色々無理を聞いていただいたことについて、申し訳ない気持ちとともに、心から感謝しています。
 又、遠く仙台からクラリネットで出演してくださった遠藤勇さん、ギターで編曲されているパートを三味線で弾いていただく無理を聞いてくださった伊藤泰子さん、年寄りの中に混じって若々しいドラムを聞かせてくださった橋本拓磨さん、ありがとうございました。

歌でもたくさんの方にご協力いただきました。
 若々しい声を聞かせてくれた池田絢さん、難しい曲で歌いにくかったと思いますが、また一緒にやりたいですね。
 持ち歌ではなく神野オリジナルを、歌のイメージをよく汲んでくださり、素晴らしい歌唱力で表現してくださった大島美恵子さん、ありがとうございました。
 アリオンコーラスのコンサートで声をお聞きし、是非にとお願いしてうたって頂いた金子正幸さん、あの「海の子守唄」は誰にもまねができません。今後ともよろしくお願いします。
 アリオンコーラスの皆さん、いまさら言うまでもないことですが、心のこもったうたごえはいつ聞いてもひきつけられます。いつも我々を応援してくださりありがとうございます。
 男性コーラス「Re・ハート」の皆さん、結成してまだ2回目の出演とは思えないほど力強いうたごえで魅了してくれました。これからも継続してうたい続けていただきたいと思います。
 国分寺うたう会の皆さん、月1回のうたう会でしか練習時間が取れず、大変な思いをしたことと思います。私達の活動基盤としてのうたう会、私達のもっとも身近な応援団として今後ともよろしくお願いします。

その他多くのスタッフの方にご協力いただきました。
 一人一人のお名前を挙げてお礼申し上げるべきですが、あまりにも多くの方にご協力いただいたため、ここでご紹介できないことをお許しください。
  
当日は340名もの多くの方にご来場いただきました。会場の定員が370名ですから、ほぼ満席になったといっても良いと思います。コンサート開始前にどのくらいの方が来ていただけるのか 不安いっぱいだったのですが、おかげで盛況に終わりました。
又、来ていただいた方の中には、茨城、埼玉、千葉、神奈川の各方面からのみならず、遠く札幌 、金沢からもきていただきました。本当にありがたいことだと思っております。

最後になりますが、
   Gracias a la Cancion(歌よありがとう)

 これから次回のコンサートの開催に向けて、準備開始です。

■□ 写真集 □■

    
  ↓写真をクリックすれば、拡大して表示されます。

ホール前看板

想いの届く日

ギター伴奏

See You again

海の子守唄

大地の歌

バンド演奏風景

永井さんインタビュー (山田さん)

永井さん朗読

ぶっそうげの花

情熱の花

ツクマンの月

母になる日

尾瀬

デイドリーム・ビリーバー

挨拶

歌をうたえば



国分寺うたう会 bS0〜bS2(2004.1.21作成)
 うたう会の現状 
地元国分寺で、みんなで楽しく歌える場所が欲しい、と年金者を中心とした皆さんの強い想いに応える形で誕生したうたう会。その国分寺うたう会も4年目を迎え、開催回数40回を超えた。歌いに来てくれた人の数も、通算で既に100名をはるかに超えるまでになっていた。
 毎回の出席者は20人前後。この日を楽しみに毎回来てくれる人、他の予定と重なり行きたくても行けない人、体調不良で残念ながら断念せざるを得ない人等、来てくれる人の持つ色々な事情を抱えながら、ここまで来た。初めて参加した人が、みんなで歌う楽しみを実感し、次の会には友達を誘って参加。このような人の輪のつながりの中で、爆発的とはいかなくても着実に根を下ろしてきた。
 開催場所は基本的に「本多公民館」、部屋は大体「視聴覚室」である。
 年齢的には高齢の人が多く、地域的には国分寺市、国立市、立川市、小金井市等比較的交通の便が良い場所に住んでいる人が、歌いたいという欲求を満たしたくて続けてこられたうたう会である。
 最近では八王子、日野、府中等多摩地域のみでなく、麻布、世田谷からの常連組も増えてきた。
 ただ、残念なのが男性の少ない点である。うたう会を始めた頃は結構いた男性陣も最近は足が遠のいてしまい、伴奏の私だけが男性という日も少なくない。みんな忙しいのである。

 
 突然の来訪者 

2003年は、5月から7月にかけての3回の定例会に、予想外のうれしい来訪者を迎えた。
 毎回新しい参加者が着てくれると、うれしいのではあるが、このときはうれしさを通り越して驚きと感動を覚えたのである。
 その方達の来訪のきっかけはこのホームページである。
 さて、その方達とは……

5月24日
 いつものように1時前には会場に着いて、会場設営とかマイク、アコーディオンの準備をしていたときである。

 ある人が近づいてきて突如握手を求められた。堂々とした体躯、落ち着いた恰幅のいい紳士。「こんにちは」と言われたか、「ヨウ!」と言われたか、あるいは無言だったか定かではないが、会ったことのない人であることは確か。いや、もしかしたら自分が忘れているだけかもしれないと、手を差し出したとき、「エーちゃんです」と自己紹介された。その瞬間、「あのエーちゃんが?」と。そうです、ホームページ
「ヴァーチャルうたごえ喫茶 のび」を運営しているエーちゃんだった。

 さらにもっと驚いたのは、その後ろにいた人を紹介されたときである。ひげを蓄えた顔から優しい笑顔を投げかけてくる、細身の身体にきちっと背広を着込んだ優男。「bunbunさんです」と。えー、うそだろ?bunbunさんは青森県の深浦の住人でホームページ
「うたごえサークル おけら」でうたごえの曲紹介をしている。わざわざ青森から?と思った瞬間、驚きは最高潮に。

 実は、bunbunさんが東京に来ることは事前に知っていた。そして、エーちゃんから誘われてうたごえ喫茶に行こうという話しがあったのである。ところが、そのときの私は椎間板ヘルニアで苦しんでいたときで、無理だと言っていたのである。それなら、と言うことで二人が訪ねてきてくれた。
 
 そして、遠来の客を迎えて、国分寺うたう会が始まった。
 そのときの模様は、bunbunさんの
「うたごえツアーin東京」に写真入りで詳しく書かれている。
 手抜きして申し訳ないが、ご覧いただきたい。

6月28日
 前回に続き、この日も突然の来訪者を迎えることになった。
 前回来てくれたエーちゃんが誘ってきてくれた二人の方である。
 一人は、本拠をカンボジアに構え、一時帰国中の「よしこさん」。ホームページ「よしこのインターネット・ワールド・トリップ」で世界各国の訪問記とともに、うたごえ喫茶「家路」を中心に新宿のうたごえ喫茶紹介をしている。
 もう一人は、エーちゃんのホームページの音楽監督をしている「マルちゃん」である。大学時代にエーちゃんと同じ埼玉大学うたごえサークル「のび」で活躍していて、現在は柏在住で、MIDIの制作を手伝っている。
 ちなみに、お二人が埼玉大学「のび」在学中と私が教育大学・お茶大「あらぐさ」在学中はほぼ同じ時代のようであることから、年齢的には同じであると推測される。

 お二人とも、日頃うたう会でどのような曲が歌われているかつかめなくて、最初は遠慮していたようであるが、次第にリクエストも出てきて、常連のメンバーにとっても新しい曲を知ることが出来、新鮮なうたう会になったことと思う。
 うたう会では、ともしびの歌集を使っているが、いつも同じメンバーだと歌われる曲も限定的になりがちであり、その意味では新しい参加者の来訪は、曲のレパートリーを拡げるいい機会になる。

 このようにして、今回も新しい訪問者を迎え、楽しい3時間を過ごすことが出来た。
 
 なお、この時の模様は、エーちゃんのホームページの「全国うたごえマップ」のページで、ビデオで紹介されている。またまた、手抜き。

7月19日
 今日は部屋に入ると、若い男女がいた。
 気にはなりながら、とりあえずうたう会の準備を始めていたとき、はるみから女性を紹介される。
 中野在住で昔からの知り合いとのこと。
 そして、一緒に来ている男性は?その女性の知り合いで、エーちゃんのホームページを見て、岡山から深夜バスで訪ねてきてくれたという29歳の「そうちゃん」(一色)。岡山ですよ。
 
 物静かではあるが意志の強さを感じさせ、多くを語らないものの心の奥に秘めた思いが痛いほど伝わってくる青年。
 全国のうたごえ喫茶を訪ね歩いているようで、その行動力、歌に対する情熱に感心させられる。
 
 うたう会の常連のみんなは、年齢差??歳の若者を包み込むようなまなざしで見つめ、母親のような暖かい「からかい」の言葉をかけながら、楽しい時間を過ごした。
 どんな歌が好きですか、との問いかけに、はにかみながら平和の歌が好き、と言う。
 彼にしてみれば、参加者があまりにも高齢すぎてびっくりするやら、戸惑うやら、であったかも。
 
 
後日、他のうたごえ喫茶のHPを見ると、「そうちゃん」訪問の記録がたくさんあった。
 なお、自らもホームページを開設しているので、一度訪れてみてください。
    
「そうちゃんのホームページへようこそ」
    
皆さん、これからも国分寺うたう会をよろしくお願いします。
 そして、是非一度歌いに来て下さい。
  

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