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16

(月
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最近、我が故郷「四阪島」の先輩のHPを知ったことから、「四阪島小中学校の校歌」を思い出すことになった。
不思議なものであるが、40年以上も昔のことなのに歌詞もメロディーもはっきりと覚えている。ソラで歌うことが出来る。高校、大学の校歌はいまではどんな歌であったのか、歌詞はもとよりメロディーの一節さえも思い出すことは出来ないのに。
小学校、中学校通して9年間も歌った期間のためか、とも思うがどうもそれだけではないような気がする。

「四阪島」は住友金属鉱山(鰍フ精錬所があったところである。精錬所からの煙害が周辺地域に拡がり深刻な事態に発展するも、半世紀にわたり煙害除去のための努力が続けられ、ついに煙害を克服したという歴史のある島です。日本で始めて公害問題が発生し、克服した島と言っていいのではないかと思います。
もっとも、今はもう精錬所もなくなり、生活している住民もいないようである。

全島民5000人程度の小さな島で、みんなが家族のような生活を送っていた。よそ者が入ってくることなど出来ない閉鎖された島で過ごしたことは、仲間うちの安心感、平穏に満ちていて、その意味では居心地の良い生活であった。その一方で、新しい環境に適応することの苦手な人間を作ってしまう危険があったと思う。私自身もそういう影響を随分受けていると思うことがよくある。

そういう特殊な環境下で一緒に学び、遊んだ学友は小学校、中学校通じてほぼ同じ顔ぶれ。確か一学年3クラス程度で、クラスは違っても知っている顔ばかり。(もっとも、今会って思い出せるかどうかは不安いっぱいであるが)
今も校歌をはっきりと覚えているのは、そういう環境下で育ったことが遠因としてあるのかもしれない。

冒頭の先輩(妹さんが私の同級生である)の依頼を受け、拙いものであるが「四阪島小中学校の校歌」のオーケストラバージョンの伴奏を作成させてもらった。
下記のページで聞くことが出来る。
   http://homepage3.nifty.com/M-A_Inoue_Home/sisakajimakouka.htm
作っていて本当に懐かしく、楽しい作業であった。
今後もいろんなヴァージョンで校歌の伴奏を作ってみたい。
更に「四阪音頭」という曲もあるということを知り、全然聞いたこともなかったのだが、こちらにも伴奏付けにチャレンジしてみたい。

思いがけず楽しい機会を提供してくれた先輩に感謝したい。




(火
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       <春の出来事>

3月28日 多摩川園駅近くの公園でお花見

毎年さくらの花の満開の日に行われるりんご倶楽部(山形県朝日町出身)のお花見。もちろん、花よりだんご仕事の都合でなかなか出席できないけど今年はバッチリ。写真ありがとう。故郷のにおいがぎっしりつまった、だんご、おいしかったなー。  

幹事さんありがとう。秋の芋煮会が楽しみ。

4月28日〜4月30日 河口湖・西湖

大型連休前の旅は最高。
乗り物に弱いはるみをのせ、足腰痛でままならない和博の運転でドライブ。
天気は快晴。無事に宿に到着。
窓から見える河口湖全景
別世界にやってきたようだ。

まずは温泉、もちろん露店風呂に直行。
湖を眺めながら、一糸まとわず、さわやかな風に吹かれ時間も止まり、気分は最高。

富士桜とミツバツツジ

前日に吹き荒れた風でほとんどの花は散ってしまったとのこと

残念。
折角の「富士桜とミツバツツジ祭り」の会場に行くことを断念。

残っていた花と一緒に。



やぶさめ祭り

騎手と馬が一体になり矢を射る一瞬の技を見る。

昼食も忘れ早々に場所の確保。和博は食料を求めてその場を離れ,戻ってきた手には、無料配給のけんちん汁二人分、ごちそうさま。
しばらく待つことになったが気短な和博もいらいらせず横になって日光浴。確保した場所はほぼ的の前、カメラをセットして準備完了。
競射が始まってから半分以上カメラの穴をのぞいていたはるみ、もったいない事していることに気がつき、すばらしい技を生で観ることにする。
初めて観たやぶさめ芸する馬、とても魅力的で顔や姿を写そうとしたけど,速すぎて逆光でもあり私の腕では無理だった。乗馬は私の叶わない夢なのです。

河口湖畔での一日はとてもよかった。

富士山を観た

今まで何度も富士山を
見たけどこんなにすご
いとは思わなかった。

大きい、きれい、さす
が、すばらしい、だか
ら登るんだ、などなど、、。

ピンぼけが多かったけ
ど何度もカメラを向けてしまった。
めったにできない経験

病院へ

1日目の夜、和博の左目の下が腫れてかゆみと痛みに悩まされる。
2日目の朝食後、フロントで眼科を紹介してもらいすぐ出かける
処置時間1時間ばくりゅうしゅ(ものもらい)との事。
治療がすんで、ほっとしたのは本人より付き添いの私のほうが大きかったかも。もしかしたらペーパードライバーの私に車の運転がまかされそうだったから。

曲ができた

やぶさめ祭りの最中流れてた音楽がかの有名な武田節、ほか地元の民謡歌手の歌などだったのが和博の耳にこびりついてしまいその夜ギター片手に5線紙に書き込んだようだ。出来上がった曲は、民謡調。

富岳風穴,鳴沢氷穴

私はこれらの洞穴についての認識はまるでゼロでした。

中は0度と書いてあったので,外は夏の陽気なのに上着を2枚位重ね着して入っていった。
パンフレットに反響しないところがあると書いてあったので興味がでてきた。

いざ入ってみると大変な思いをした。
上から雫がぽたぽた、階段は急な坂
他の客が後ろから来るので落ち着かない穴の道が狭くて和博は足腰に負担をかけてしまった。
カメラをもって入ったけどだめだった。
反響のことなど忘れていた。

青木ヶ原樹海

3日目西湖野鳥の森になんとなく入り昼食にしようとした。その前に森に入り木漏れ日の下で何気なく写真を撮る。野鳥には会えなかった。あとで、その森があの有名な自殺の名所と知って驚いた。しばらくの間森を眺めながら、このような森の中で死のうとする人達のことをかんがえてみたりした。溶岩の隙間に這うように生きている根っこは指の多い手に見えたり足に見えたりするつかまれるような気分にもなる。小説を読んでのイメージとは違ったけどミステリアスな森だし、怖がりの私にはとてもひとりでは歩けないとおもった。

シッタカ

以前から散歩するたびに野草を見ては二人はたぶん同じ草を探していた。
それが河口湖畔の道端で見つかった。

はるみの田舎では「スカナ」と呼び、和博のところでは
「タシッポ」と呼んでいるもの。
そう、シッタカというものがあったのだ。

二人はさっそく口にしてみる。
やはりすっぱかったが、本当にスカナ?、タシッポ?
幼き頃の味とはちょっと違っていたのだ。

帰る途中で,成沢道の駅に寄りおみやげなどを買う。
途中運転手が眠くなったりしたけど、家までは1時間30分だった。近い,近い。
家のドアを開けると2匹の猫,ラブちゃんとピースくんが元気な姿を見せてくれたことがなによりで楽しい旅だった。





19

(木
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    《川住謹一郎 水彩画展 
        オープニングパーティーでのミニコンサートを終えて》
          〜6月1日(日) 国分寺 次郎画廊にて〜

画廊での出演依頼を受けた。
歌い始めの時間?、何曲位歌えるのか?、希望の歌のジャンル?
すべてパーティーが始まってからでないとわからないとのこと。コンサートができるかどうかさえも。
不安をいっぱい抱えながら、たとえ最悪歌うことがなくても、10月4日のコンサートの宣伝だけはしてこようと心に決めた。
準備した曲は、ギター伴奏での「さくらんぼ」「ラヴィアンローズ」「アマールアマンド」の3曲。他に、533曲入っているうたごえ歌集と、アコーディオンと、分厚い楽譜集を準備。

会場に入ったらアットホームなパーティーが、絵に囲まれて始まっていた。
私達は川住さんの奥様の手料理とワインをいただいてから、いきなりコンサートに入る。
ご主人の川住さんに歌の希望を聞き、準備した曲のほかに、中国の絵が多いからと、中国の歌「花あそび」「草原情歌」を歌う。
歌の途中からお客さんの一人が私と一緒に口ずさみ始め、そのうち二人、三人と増えていく。
シャンソンというリクエストに答えて、「オーシャンゼリゼ」「サントワマミー」の歌詞コールをする。
いつの間にかまるで「うたごえ画廊」。
すばらしい絵に囲まれ、同じ歌をうたい、みんなが気持ち一つになって盛り上がってしまった。
ラスト1曲の指示があり、「パリのお嬢さん」を歌ってコンサートは終わった。
一旦礼をしてから、今日は絵が主役なのにと思いつつ、思い切って10月4日の宣伝をした。
お客様の中には新聞社の方がいて記事にしてくださるとか。
ほとんどの方が興味を持ってくださり、チラシを受け取ってくれた。
なんと昨日二人で作ったばかりのチケットが現金になったのだ。370席の一部だが、とてもうれしかった。

*後日お礼の電話があり、来年の7月1日にもよろしく、と出演依頼があった。




25

(火)
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昨日、会社にいたとき一緒に仕事をした後輩二人から、HP開設祝いのメールをもらった。
二人ともこの3月末に、希望退職に応じて会社を退職した。私自身、その希望退職組。3年前のことである。
「希望」というと自発的に、自分の意思で、退職を選択するように聞こえる。正式には「セカンドライフ支援制度」と呼ぶようようだが、会社の恩恵、特典のような響きがある。

確かに私は自分の意思で辞めた。(とはいっても、会社に対する魅力があれば辞めてなかったかもしれないが)
でも、今回はどうも違うようである。長年お世話になった会社に矢を向けるようで心苦しいのだが、聞き及ぶ限りでは実態は半強制に近いと思わずにいられない。何の準備もなく、突然退職を決断せざるを得ない事態に落ちいったとしたら、なんともやりきれない。一緒に仕事を頑張っていた後輩達が、こういう目にあうのはいたたまれない。

後輩二人は、“再就職活動をしなければならないが、とりあえずしばらくの間は旅に行ったり、釣りに行ったりしてのんびりしてます”、と書いている。
“今はリフレッシュ、充電の時期と考え……”などと返信を出すものの、生活の基盤が失われた不安を思う時、そんなごまかしの言葉が空しい。


28

(金)
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雑記帳開設を喜んでいます。
私のつぶやきを聞いてください。

皆さんは携帯電話を持ってますか?
私は仕事上、随分前から話すだけの使い方で使っています。
使い過ぎないように気をつけていますが、とても便利だと思っています。
最近身近な人達に「メールのできる機種にかえて欲しい」と進められていました。相手のことを考えずいつでも送信できて、通話料がとても安いとのこと。いい話しですが、私メールという言葉にあまりよいイメージがありません。というのは、相手の声が聞けないと気持ちがわからないこととパソコンでメールを送信しようとして時間切れで送信できなくなったことが数回あり、「私とメールは合わない」と思っていました。

*Kazuのコメント:フリーメールで、文面を入力途中に40分経過で、タイムオーバー。苦労して入れた文面がパーに。

数日前、ある人に携帯の電話番号を教えたら、「eメールアドレスも教えて」と当然のように言われ、「あヽ、私はやっぱり時代に遅れてる?」と思うようになりました。
ということで、いよいよ機種変更しました。
だれかれなしにメール送信したくなり、「パソコンで駄目なら携帯で」と名誉挽回といきたいところです。


14

(日)
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<猫の親はむつかしい>
“ラブ”と“ピース”の里親になって3年目の夏を迎えています。

以前は家の中で、黄色でスタイルのよいセキセイインコが飛び回っていました。手乗りが上手で、指から指へ飛び移るのが得意でした。ビールを飲んだり、自分の住所と名前を言うおしゃべりインコでした。ある時、外へ飛んで行ってしまい、それっきりです。

その後ペットショップで桜文鳥の赤ちゃんを買い、育てました。やはり家中飛び回り、餌が欲しくなると籠の中に入って食べては又出てきて、自由に飛び回っていました。得意なことは、人と一緒にお風呂に入ることでした。気持ちよさそうに羽根をパタパタして水浴びをして満足していました。ところが、ある冬の寒い日籠の中で冷たくなっていました。

鳥たちのことを思い出すと今でも胸が痛みます。

現在は猫2匹と暮らしています。
名前は、メス猫が“ラブ”、オス猫が“ピース”。とてもいい名前をつけたと思っています。ラブが一歳半、ピースが一歳の6月の暑い日にボランティアの人に連れてこられました。
2匹ともなれるまでに(逃げないで抱っこされるまでに)1年以上かかったような気がします。

猫は1日2食ということなどを勉強し、朝ご飯はお父さんが準備してくれます。夜ご飯はお母さんの手作りだったり色々です。
ラブ(左)とピース(右)
ラブ(左)とピース(右)

ラブは人見知りが激しく、又神経質でいつもびくびくして行動しています。お客さんが来てピンポーンの音がするや否や、押入れに逃げ出し姿を見せません。でも、夜になると、お父さんとお母さんのベッドの上で大の字になって、おなかを上にしてリラックスしています。(同一人(猫?)物とは思えないくらい)

ピースは男の子らしく、冒険好きでお客さんを怖がることもなく、アルミホイールのボールをころがしてよく遊びます。得意なことは、お父さんがお風呂に入ろうとすると、先にお風呂のふたの上に飛び乗り、忠犬ハチ公みたいなスタイルでお父さんを待っています。身体をなでてもらえるこの時間が大好きなのです。

ラブもピースも外遊びはしないので運動不足。親が運動をさせてあげなければいけないのですが、お父さんもお母さんもあまりしてあげないので太り気味です。
今はピースのほうが「泌尿器症候群」の病気にかかり尿が出なくなったりして、病院に行きました。缶詰を食べなくて困っています。水も飲まなくなっています。
「猫を買うのは簡単」と言われ飼ったのですが、とんでもない。病気になるとただオロオロしてしまうお母さんは、人間の子供を育てるより難しいと思っています。


10

(水)
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 今ケーブルテレビの「衛星劇場」で映画『人間の條件』をやっている。既に7月に第1部と第2部が終了、この8月に第3部と第4部、そして9月に第5部と第6部が放映されて完結のはずである。この作品、第1部から第6部まで通して見ると確か9時間以上になる大作。
原作五味川純平、監督小林正樹で、1960年前後の作品であるが、僕が見たのは学生時代の1970年頃。原作を夢中になって読み終わったら、ちょうどオールナイトで一挙上映することを知り、夜の10時頃から朝まで、新宿の映画館で見たことを覚えている。

 原作を読み終わった後、心が洗われるような気持ちになった。
 戦時体制化の日本で、召集を受け満州に送られた主人公が、現地の人々に対する日本軍の横暴に人間として許せないものを感じ、わが身の立場が危うくなることを省みず抵抗する姿は、戦争と言う人間無視の極限の状況下にあって、人間としての生き方、人間であることの条件を問い掛けるものである。祖国に残された家族への愛、戦場に狩り出された同士の苦悩も織り交ぜて、この小説は戦争の非情さを鮮やかに描いている。

 7月に放映された第1部と第2部は見ることができなかった。8月も放映日程からすると見られそうもない。残念である。
 確か昔読んだ本があるはずだと探してみたが、引越の時に処分した本の中に紛れてしまったようで見つからない。それでは、もう一度本を買おうと書店を探してみたが、どこにもない。
 というわけで、悔しい思いをしている今日この頃です。


27

(火)
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            《夏の思い出》
 8/13(火)から15(木)まで二人で尾瀬に行って来た。
 和博にとっては6年ぶり、もう10数回目となる場所で久しぶりの訪問に心わくわく、一方はるみにとってははじめての土地で期待と不安が入り混じった気持ちではなかったと思う。特に肩に不安を抱えたはるみにとって重いリュックを背負って何時間も山道を歩くことを考えると、心細くなるのは無理もないことであろう。
 さあ、懐かしい尾瀬、憧れの尾瀬へそれぞれの思いを秘めていざ出発である。

 《8/13(火)》
 朝7時過ぎに家を出て、大宮から新幹線で上毛高原駅へ。バスを乗り継いで「鳩待峠」着が12時半頃。

 軽く腹ごしらえをして1時過ぎ、いよいよ尾瀬ヶ原に向けて出発である。今回のコースは一番楽なコースをと思い、鳩待峠から入山することにした。
 沢を流れる水の音を聞きながら、下りの多い坂道を約1時間歩くともう「山ノ鼻」である。ここは尾瀬ヶ原の入り口に位置するところ。小休止の後、尾瀬ヶ原に足を踏み入れる。とすぐ目の前に、広大な湿原が広がる。「至仏山」を背にして、「燧ガ岳」を目指して木道を進む。緩やかな山並みの「至仏山」は女山と呼ばれ、鋭い稜線を持った「燧ガ岳」は男山と呼ばれて好対照をなしている。
 この時期の尾瀬は、ニッコウキズゲの季節が終わり、華やかに花が咲き乱れているわけではない。それでも、可憐な花々が我々の訪れを歓迎してくれている。はるみは、そんな小さい花達に向かって夢中になってシャッターを切っている。
 もう一つ、尾瀬は赤とんぼの繁殖地である。木道の上に、池塘に咲くヒツジグサの上に、木道わきのワレモコウの上に、たくさんの赤とんぼ、糸とんぼが羽根を休めている。
 訪れる人も少なく、広大な尾瀬ヶ原の前後を見渡しても人の姿が確認できなく、まさに独り占め(二人占め?)。水芭蕉の季節には絶対に味わえない最高の贅沢である。
 赤とんぼを道案内に、木道を歩くこと2時間、「尾瀬小屋」に到着する。
 心地よい疲れを感じながら、夕食で飲むビールのうまいこと。
 かくして、尾瀬の一日目は無事に終わる。

 《8/14(水)》
 昨夜は雷の音と土砂降りの雨が山小屋の屋根に打ちつける音がすごかった。
 しかし朝6時、目がさめると窓から見える遠くの湿原は、青空の下に輝いていた。
 8時山小屋を出発。近くの別の山小屋「弥四郎小屋」で、尾瀬ヶ原を目の前に眺めながらモーニングコーヒーを味わい、尾瀬沼の沼尻を目指す。今晩も「尾瀬小屋」に泊まる為、リュックは置いて軽装。
 今日の道程は、昨日の平坦な道と違い、昇りの急な岩場が多く、昨夜の雨で岩場も木道も滑りやすく、足場の確保に苦労しながら進む。
 とはいえやはり尾瀬。周りは森に囲まれ、沢の流れの音が耳に心地よい。更には、せみの声とうぐいすの鳴き声の不思議な混在。身体の疲れとは裏腹に心休まる時間。
 10時半頃沼尻着。2時間あまりの歩行で汗ばんだ身体を通りすぎる涼しい風がこの上なく心地よい。
 頑張れば尾瀬沼を一周することもできるのだが、折角のゆったりした時間を大切にしたいので、ここで尾瀬沼を思う存分目に留める事にして長居することにする。
 1時間半くらい沼尻に留まった後、再び尾瀬ヶ原に向う。
 14時「尾瀬小屋」着。
 小屋に入った後、また雨が降り始める。
 我々はついている。

 《8/15(木)》
 昨夜も雨。
 今日が尾瀬最終日。7時30分に尾瀬小屋を後にして、ヨッピ吊り橋へ向かう。はるみは、右足小指が靴とすれて歩きづらそう。
途中「東電小屋」で休憩してモーニングコーヒーを飲む。
 そういえば東電小屋に向かう途中の山の中で熊の鳴き声がしたことにはるみが気がつく。最近尾瀬では結構熊が出没しているとか。小屋の人の話では、2、3日前の夜中に鳩待峠と山ノ鼻の間で熊に遭ったと言うが、そんな夜中に誰が歩いていたのだろう。
 ヨッピ吊り橋は、昔来たときはもっと揺れたような気がしたのだが、今はほとんど揺れず、吊り橋とは名ばかりで普通の橋に近い。
 ヨッピ橋を過ぎて、原を進み、1日目に通った牛首の三叉に出る。この頃から空模様が怪しくなり、晴れ間が消え、うっすらとした黒雲が空を覆い始める。
 山ノ鼻到着が10時半。尾瀬ヶ原ともこれでお別れ。小休止の後、鳩待峠に向かい、1時前着。
 鳩待峠の休憩所で、お待ちかねのビールを飲み干し、食事をとる。なんとも幸せな瞬間だ。と同時に、今度はいつ尾瀬に来れるのだろうかと、少々感傷的になる。
 上毛高原に向かう途中、戸倉で乗り換えのバスを待っているとき、尾瀬帰りの50過ぎの男性と話し。この男性は、昨日の夜行バスで朝4時頃大清水に着き、尾瀬沼から尾瀬ヶ原を縦断して鳩待峠から下りてきたとのこと。思えば、昔は上野発の夜行列車で沼田まで来て、バスで大清水に4時頃着、朝も明けきらぬうちに尾瀬沼に向かって歩き始めたものである。今は新幹線が出来てこの夜行列車もなくなった。便利になったといえばそうかもしれないが、考えてみれば味気ない。思い出を作るには、あまりにもあっという間に時が過ぎてしまい、その余裕さえない。その意味では、不便になったと言うべきか。
 この男性も若い頃から尾瀬に行っていた様で、同じ想い出の重なり合いがはじめて会ったにもかかわらず、懐かしい人に逢ったような不思議な感動を覚える。
 このようにして、私達の2泊3日の夏の想い出は幕を閉じた。
 
 《余談》
 随分前に尾瀬に行ったとき、ニッコウキスゲが咲き誇っていて、その上を数え切れないほどの赤とんぼが飛び回っていた記憶がある。その色彩の鮮やかさ、言葉に尽くせぬほどの感動を覚えた。
 ニッコウキスゲは8月には盛りが過ぎ、赤とんぼは8月頃から飛び始めることを思えば、こう言う情景は見られるはずもないのだが、今と昔は生息環境が変わったのか、或いは僕の記憶違いあるいは夢の中で思い描いていただけなのか、いずれにしてももし見られるものなら見たい。

 はるみにとって、リュックを背負っての山道は大変だったと思う。でも、何とか3日間を歩きとおした。最終日上毛高原の駅に着いたとき、ふと漏らした言葉は意外にも山道の大変さではなく、上毛高原駅から鳩待峠までのバスがいやだったと言うことである。片道3時間余のバスは、車酔いするはるみにとって、自分の足でどうにでも出来る山行きよりよほど大変だったかもしれない。

 尾瀬を歩いていると、必ず出会うのが背中に自分の背丈の倍以上にも達する荷物を背負い、両腕をおなかのあたりに組んで、一歩一歩足を踏みしめながら小屋へ向かう人の姿である。歩荷(ぼっか)と呼ばれるが、まさに「歩く荷物」、うまく名づけたものである。
荷物の中身は我々の食料。山小屋で口にするものはこうやって人の力で運ばれている。値段が高いといって文句は言えない。ついでに言えば、山小屋で食べ残したものは尾瀬には捨てるところがないため、わざわざ麓まで下ろす。食べ残すのもはばかられる。

 《写真》


尾瀬の素晴らしい景色をバックに
↓下の写真をクリックすれば拡大して見られます
尾瀬の二人1 尾瀬の二人2 尾瀬の二人3 尾瀬の二人4

尾瀬の花1 尾瀬の花2 尾瀬の花3
↑尾瀬の可憐な花々と池塘・浮島
尾瀬の花4 尾瀬の花5 尾瀬の池塘

 




(金)





《尾瀬の詩1》

燧ケ岳 映し出す
残雪の尾瀬沼
至仏のこだま
尾瀬ヶ原に響き渡る
水芭蕉は教えてくれる
春の訪れ

真っ青な空 映し出す
動の田代(ゆるぎのたしろ)
湿原に風わたり
夏を踊るニッコウキスゲ
華やかさの中 ずっしりと
歩荷(ぼっか)さん

季節毎に 色変わり
峠を越えて花咲かす
木道わきのワレモコウ
とんぼの帽子かぶってる
クサモミジ輝く 時を告げる
ヒツジグサ


**誰か曲をつけてくれないかな?**
10

22

(火)



   《ありがとう 朝顔》

4月に眠りから覚め 芽を出してくれた時
私の希望にも灯がついた
胸がどきどきして 何度も見に行った
私が出来ることは ひたすら水をあげるだけ
暑過ぎるベランダの鉢の中で
双葉の若芽が倒れないように
日よけのすだれをぶら下げた

毎朝私は心ときめかせて ベランダを覗く
緑色の葉っぱの数が 増えていた
寝ぼけている頭も 目も覚める
この西陽の強いベランダでも
花が咲くかもしれない
蔓が延びやすいように 棒を立てた

見るからに涼しげな 朝顔の蔓の群れ
少しの水では死んでしまうので
大きなジョウロを買ってくる
水がお湯にならないように
水やり時間を考える
まるで子育ての緊張感

7月のある日 突然青紫色の朝顔の花が
1輪咲いていた
待ちに待っていた私に 顔を見せてくれた
一人で喜ぶのはもったいなく思い 夫に声をかける
赤紫色の時も 次の日も次の日も声をかける

季節の中で数時間しか咲けない 朝顔の花
毎日毎日場所を替えて咲いていた
暑かっただろうに 100輪は見せてくれた
もう10月の半ば過ぎ
種も大きくなっている
私は毎日の水やりに疲れてしまった

この暑かった夏 私は君に励まされました
ありがとう 朝顔
暑い中君も疲れたでしょう
枯れかかって縮れた葉に囲まれ
咲こうとしている君
もう休もう 来年まで
そして又咲こう